2010年07月26日
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東京生命球場の話題に新展開

Written By: 川俣 晶連絡先

 東京生命球場の話題に新展開はもう無いと思っていました。場所も確定できたし、既に多少の証言もあります。

 しかし、甘かった!

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 なんと問題の発端となったWikiPediaの記事を書いたご自身です。

 話をまとめると、以下のようになります。

  • 東京生命球場の収容力は低い (2000人で超満員)
  • 重要な試合は収容力が多きな後楽園球場が使用された (1万人以上)
  • お色気興業として歓楽街に近い立地であるという仮説は間違いであろう。東京生命球場の竣工時点で、既に健全スポーツ路線である

 ご指摘、ありがとうございます。

実は最後の謎が解ける §

 実はこの話で最後の謎が解けます。

 最後の謎というのは以下の通り。

  • 東京生命球場は、女子プロ野球の中核となる重要な試合を行うにしては、規模が小さすぎる

 つまり、東京生命球場というのは、最終的に「見せ場」となる試合を行う場所ではなく、普段の試合を行い「見せ場」に向けて出発する場所だったわけです。そういう意味での拠点球場だったのでしょう。

 とすると、実は解釈が変わってきます。そういう球場なら金の掛かる都心の球場を避けて、やや田舎よりの場所を選んだ方が有利です。もちろん、交通の便は良くなければなりません。そういう観点から考えると、実は「淀橋浄水場よりも西」というロケーションは、集客よりもいつでも安く使えることが前提の選択らしいことが見えてきます。かといって、不便でもありません。歓楽街十二社が近く、交通の便も悪くありません。更に、終戦後、株喜町の勃興に伴って十二社は枯れつつある歓楽街で、過剰な「水商売臭さ」を持っていません。十二社の本格的な衰退は、新宿副都心の計画以後になりますが、株喜町の勃興は戦後から始まっています。

感想 §

 実は、WikiPediaに書いた人に質問すれば良かったわけですね。そうすればかなりの時間と手間を省けたはずです。ある程度は誰が書いたか分かるはずだし、分からないとしてもノートの質問する等の手段はあったのでしょう。

 しかし、最後に残った引っかかりの謎が綺麗に解けたのは良かったと思います。ありがとうございます。

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